Amazonでのコメント:アンチ・シェークスピアのクレオパトラ像「ブルータスよ、お前もか」のカエサル暗殺(ブルータスは、あのブルータスでなく、違うブルータスというのも興味深い話です)後の後継者争いがテーマです。シェークスピアの名作「アントニーとクレオパトラ」で描かれるアントニウスと、カエサルの養子として名を継いだオクタヴィアヌスがカエサルの後継者の座を賭けて戦います。
見どころは、シェークスピアで描かれるのとは全く別の、アントニウスとクレオパトラの人物像です。
悲劇のヒロイン・クレオパトラを「野心が強いが、浅はかで先見性がない」と断じたり、アントニウスを「副将としては優秀だが、総大将にはなれない器」「剣闘士並の体格と頭脳を持っている」であると評したり、シェークスピアでのイメージが強かった僕には意外であるにしても痛快な内容です。
エジプトの王のように贅沢に振る舞い、ローマ市民の気持ちを逆撫でしつづけたアントニウスが、カエサルが指名した後継者・オクタヴィアヌスに敗れたのは必然であるように思えます。
文学作品としてのシェークスピアは秀逸ですし、この展開の方が恋をドラマティックに描けていると思いますが、ローマ人の視点から見たクレオパトラがどのような存在だったのかを本書で知ることができ、楽しめました。GRANDE!! ROMA 本書を読むと、ハンニバルの言葉『外的に成功しても、内臓疾患のように、内なる敵から蝕まれてゆく』が思い起こさせます。まさに歴史は繰り返すの堂々たる見本。それは稀代の創造的天才でも覆すことは出来なかったのです。
さて、本書の言葉を借りれば、『人間は見たいと欲する現実しか見ていない』アントニウスやブルートゥスとは資質を異にしたオクタヴィアヌスの登場で、カエサルの威光はこの養子に引き継がれてゆきます。このあたりの獅子奮迅する20歳前後の青年の行動は、爽快さよりもむしろ、恐怖感を与えます。20にして立つとは・・・。ひるがえって日本国。周りを見渡しても20にして立っている青年はいるでしょうか。
カエサル亡き後のローマの平和に向けて、オクタヴィアヌスの大事業の開始を告げる鐘が鳴り響きます。面白ければ面白いです。
学者ではなく歴史小説家なので、翻訳でなければオリジナルでなくてもOKでしょう。ゆっくり急げまであともう少し本書を読むと、ハンニバルの言葉『外的に成功しても、内臓疾患のように、内なる敵から蝕まれてゆく』が思い起こさせます。まさに歴史は繰り返すの堂々たる見本。それは稀代の創造的天才でも覆すことは出来なかったのです。
さて、本書の言葉を借りれば、『人間は見たいと欲する現実しか見ていない』アントニウスやブルートゥスとは資質を異にしたオクタヴィアヌスの登場で、カエサルの威光はこの養子に引き継がれてゆきます。このあたりの獅子奮迅する20歳前後の青年の行動は、爽快さよりもむしろ、恐怖感を与えます。20にして立つとは・・・。ひるがえって日本国。周りを見渡しても20にして立っている青年はいるでしょうか。
カエサル亡き後のローマの平和に向けて、オクタヴィアヌスの大事業の開始を告げる鐘が鳴り響きます。
破壊の末の安定へ本書を読むと、ハンニバルの言葉『外的に成功しても、内臓疾患のように、内なる敵から蝕まれてゆく』が思い起こさせます。まさに歴史は繰り返すの堂々たる見本。それは稀代の創造的天才でも覆すことは出来なかったのです。
さて、本書の言葉を借りれば、『人間は見たいと欲する現実しか見ていない』アントニウスやブルートゥスとは資質を異にしたオクタヴィアヌスの登場で、カエサルの威光はこの養子に引き継がれてゆきます。このあたりの獅子奮迅する20歳前後の青年の行動は、爽快さよりもむしろ、恐怖感を与えます。20にして立つとは・・・。ひるがえって日本国。周りを見渡しても20にして立っている青年はいるでしょうか。
カエサル亡き後のローマの平和に向けて、オクタヴィアヌスの大事業の開始を告げる鐘が鳴り響きます。カエサルへの挽歌 本書でカエサルが死ぬ。
カエサルを熱烈に愛しているであろう塩野にして このカエサルの死はあっさり描いている。小説家として いくらでも書きようがあるであろうに。そんなあっさりした書き方にかえって 塩野の「悲しみ」が伺えるように思えてならない。
結局 カエサルは ローマという大版図の「グランドデザイン」を描いたところで この世を去ることになってしまった。カエサルが 後 10年でも生きていたら今の世界も変わっていたのかもしれない。
歴史にIFは禁物とは言うが。
カエサルの死後 オクタヴィアヌスが アントニウスを葬り去るところまでを本巻は語る。つまり そこまでがカエサルの描いたシナリオであったと塩野は言っているわけだ。
オクタヴィアヌスは そんなカエサルのシナリオに従い ローマの皇帝になった。
次からがオクタヴィアヌスが織り始める 物語である。作者が女性が故の面白さ大まかな登場人物は、オクタヴィアヌス、アントニウス、クレオパトラの3人でこの周りをグルグル巡っていく。
著者の容赦ないアントニウスに対する才能の限界を唱える文章は読んでいて気持ちが良い。その評価が現実に沿っているかは別としても、女性とは男の才覚に対してここまでシビアになれるのかとついつい頬が緩んでしまう(私自身そういう女性が大好きだからだが・・・)
その他の人物に対しても一刀両断的にバッサバッサと才能の評価をしていくのだが、同性のクレオパトラ相手になるとその色合いは、さらにねちっこく執拗になる。時代は違えど女性同士とは面白いもので文章や物語の上ですらうまくいかないものなのかと笑いたくなる。
2,000年の時を越えて、史実の中で自らの女性らしさをさらけ出してくれている著者に拍手喝采です。ローマ人の物語〈13〉ユリウス・カエサル―ルビコン以後(下) (新潮文庫)
5.1chデジタルサラウンドアクティブスピーカーシステム。5.1chアンプ、デジタルデコーダー付 本書の中で[(科学的な資料だけでなく)歴史でさえ科学的に仮説を立てながら一つひとつ詮索しながら明らかにしていくものである]ということを伝えたかったとある。
まさしく『仮説』の面目躍如である。例えば「人口の増減を決定する年貢ライン」は、江戸時代の現存する限られた藩・年数の人口統計から、仮説と評価・修正の繰返し、原統計資料の統計的な偏りさえ発見する過程を披露している。また「これまでの歴史は、その時代に生きる人びとの生きがいと言うものをほとんど考慮してこなかったのではないだろうか?」とまで言わしめている。
「吉田光由の塵劫記の円周率は三.一六」であり、この値が3.14よりポピュラーであったそうだ。3.16は10の平方根が由来らしい。私もこのようなことを考えたことがあり、興味深く読んだ。
それほか「石のレール上を走った京都の牛車」、「日本に馬車がなかったのは何故」、「大阪のベカ車と江戸の大八車」などなど好奇心と発見の楽しみを味わった。限界年貢収納量は一人あたり1.8俵(86.4 kg)著者のいうとおり歴史家は大概数字に弱い。だから全国統計のなかった江戸時代の年貢収納量の把握など夢のような話だ。しかし、例外的に基礎数字が揃っている場合がある。18世紀以降の相馬藩だ。著者は限界年貢収納量(これ以上取り立てると農民が疲弊して人口が減少してしまう)として一人あたり1.8俵を導きだす。ポイントは「ひとり」というのが赤ちゃんから老人までの総人口だということだ。だから総人口数が分かれば全国レベルの(限界)年貢収納量が計算できる。1俵は0.32石(=48kg) だから1.8俵なら0.576石(86.4 kg) 、これに天保年代の2,700万人(武士を除く)を掛けると1555.2万石(233.28万トン)という数値が出てくる。(もちろん米穀換算値だから実際の収納量ではない)あくまで目安の数値である。それにしても一次接近としては十分な精度だと言える。日本史再発見―理系の視点から (朝日選書)
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